恐怖と忙しさには関係がある?避ける逃げるのはなぜなのか・・

恐怖と忙しさには関係がある?避ける逃げるのはなぜなのか・・

 

 

「考えること」は創造すること。  大鈴さんのブログからの言葉です。

自分が頭の中で描く想像や言葉は、やがて行動となり、現実となる。思考は未来の種。 2026年の橋渡しのこの重要な時期、あなたの未来をどう創造するかはいま、何を考えているか?

 

私たちって、起きて、そして寝るまでの間中、何やかんやと、無意識で色んなこと想像したり考えたりとしてますね。すごい数の思考です。

何を考え、どんなことを話しているか・・ いつもの日常のこと、中には意識している人もいるけれど、多くはそんなに意識しないままに月日が流れていってしまったりかと思います。

毎日、都度都度、出てきた喜怒哀楽を一つずつ味わい切る。自分とちゃんと向き合って感じること(俗に言う内観ですが)、思考も本音&心も体感&魂も一致させて行動を統合させていけると、めちゃ人生の流れがスムーズにいっちゃう。って私も知りませんでした。

「何がそんなに嬉しかった?」 「何がそんなに嫌だったんかな?」 「大爆発、怒りの原因は何??」

頭&思考と心&体感を一致させて行動するって、なかなかハード。周りの顔色や状況を伺って、合わせて、ここは嫌だけど我慢しなきゃと抑えたり、、 よくあることだけど、当然、疲れてしまいます。誰でも経験あること。

 

特に年末のこの時期は忙しく感じます。それってなぜなのか?? もしかして、何かヒントの一つになるかもしれません。今回の記事が関心ある方の参考になればとても嬉しいです。😇

 

 

 

 

人は死への恐怖から逃げたい?(kuさんブログ)

 

年末になり忙しく動き回る人も多くなります。(ホンマになぜか、氣忙しく感じる年末だよね)

この動き回るというものは、なにかの節目があって、そのイベントのために忙しさを演出して、それに乗っかるわけです。テーマは恐怖です。いつも言うように、実は忙しさ、やるべきことというのは、この恐怖と関係していたりします。死の恐怖などです。

人はこの三次元世界の中で、恐怖に合わないために、教会にいき、趣味に熱中して、なにか生きやすい生き方を発見して、買い物をして、身体を動かして、多種多様いろいろな事を行動していきます。

それは、最後は恐怖と向き合わないために、自分自身の中にある恐怖と向き合わない避けるための行動だったりするのです。とくに、老人の場合は、それが多いです。老人の場合、もう先が無い事をわかってますから、なにか動き回りたくなる人もとても多いのです。

 

『健康のまま周りに迷惑かけないで死にたい』 というかもしれません。これはエゴの嘘であり、実は動き回ってないと死というのもに直面してしまうからです。

つまり死の恐怖を感じたくないのです。でもジッとしていると感じてしまう自分がいるのです。ジッとするということは、死の床に臥せたときの動けない感覚と似ているからです。やはり動いてしまう理由はそこにあるのです。 死への回避です。

しかし、無常にも、だんだん動けなくなってきます。老いが来るからです。すると不平不満、愚痴が出てきます。この愚痴なども、実は死の恐怖からの逃避なのです。

 

このように恐怖というものをどれだけ避けられるか? という事で人生は終わって行きます。悟りというのものは、この恐怖を肩の力を抜いて、観照意識でしっかり見ていく。この恐怖と対峙していくことです。

それは、体験を通じてしか、意味がありません。そして氣が付かないと対峙できません。忙しい年末、少し休憩したとき、自分の恐怖との対面(笑)をしてみるのも凄いパワフルになるかもしません。

 

 

 

 

地球人には難しいらしい・・ 忙しさって、分離の顕れ

 

 

恐怖と対面して、それを観照意識でみれるところまでくれば、上々の上です。しかし、この地球の多くの人達にはそれは無理です。(笑) 外側に何かある、外側に問題があるとおもって、問題をつくり、問題を解決することがエゴの興味のあることだからです。

自分自身の恐怖と対面して、観照することが出来るようになったら、宗教もなにも本当にいらなくなります。宗教のさそいは、人は死んだらどうなるのか? というエゴの未来に対する恐怖から入信することがほとんどです。過去の罪と未来の不安のニーズがあるからです。

 

そして、原因は外側、社会にある、国にある、地球にあるという事になり、外側、外側へと意識を向けて誤魔化していくのです。自分の中にあるこの恐怖と対面できなくて、外側に行くということは、今日のテーマにもあるように、分離を深めていくのです。

原因を外側にあるとおもって行動すれば、行動するほど、分離の中をさらに分離していくことになります。人間は神なので、分離しようとすれば、分離が深くもできるのです。これが、四次元の迷いの世界から出れない原因です。(なるほど〜✨)

あまりにも外側の出来事から目が離せないようなスリルがあったり、ワクワクがあったり、過激な刺激はたくさんできる社会となってしまったのです。

それは、遠く、遠く、自分自身の中の恐怖から逃げたいがゆえに、遠くに行ってしまうのです。分離が深くなれば、なにか重くなり、疲れ、なにか前に進まない自分が出てきます。それでも恐怖心との対面はできません。

 

自由意識という自分の意志があり、その自由の名のもとに、自分で分離して行ってしまうのです。ここに来る多くのもう5次元と関係するみなさんであるからこそ、忙しさを疑ってみる、外側のセンセーショナルな出来事、事件を疑ってみる。

そんなマインドが大切です。 疑うという言葉を使いましたが、「 (『今ここに』立ち)止まってみる 」ということです。自分の意志で止まるのです。止まることによって、止まった場所で、自分を正確に見れるようになります。

これが観照意識に合わせられるようになってくるのです。

 

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