【不登校大丈夫!】〜楽しむ〜生き方をえらんだ彼の表現方法という話

【不登校大丈夫!】〜楽しむ〜生き方をえらんだ彼の表現方法という話

こんにちわ!現役アポインター&セラピストともだくみこのご氣元ブログへお越しくださりありがとうございます!

今回は、不登校について書いてみたいと想います。夏休みの終わるこの時期は、「学校に行きたくない」子にとって、一番イヤな時期になるようです。仕事で大きなストレスを抱えている大人で言えば、毎週(一週間が始まる前日の)日曜日の夜になると胃がキリキリし出す(明日の朝の出勤を考えるとゾッとする・・・)感覚とほとんど同じだろうと想います。

この記事が、不登校で辛い想いをしているあなた、子供たち、不登校のお子さんがいるママやパパと、そしてそのご家族へのなにかのヒントになれば嬉しいです。

次男は健康だけど不登校児童

幼稚園・小学校時代の頃のこと

次男は、体はすこぶる健康体でしたが、不登校児童でした。長男からは、特定疾患があったおかげで、体の健康についての氣づきがたくさんありました。次男からは、心の健康についての氣づき体験の連続・・・。幼稚園の頃から、好きなこと楽しいことには全力投球!!イヤなこと嫌いなことにも全力「不」投球!!な個性を持っていました。分かりやすい性格・キャラでした。

月曜日の朝の会話です。こんな感じだったと想います。

  • 次男:「今日は行きたくない」
  • わたし:「あっそう。じゃあ、今日はお休みね!」

そして、休んだ翌日には何もなかったように登校。かなりの割合で、毎週月曜はよく休んでいた・・・私のうる覚えの記憶を辿っています。年間トータルして、15日ほどは休んでいたんじゃないかな・・・。

小学校時代に、バスケットボールクラブに入っていました。確か4年生の頃です。休み時間中に体育館で、バスケの仲間となにかを仕出かしたらしく、バスケの女子顧問の先生にひどく怒られたことがありました。その時は2週間ほど不登校になりました。

バスケの男子の監督からは「学校休んでもいいから、バスケには来いよ!!」女子の顧問の先生からは「学校休んで、バスケにだけ来るのは、おかしいでしょ!!!」次男は、そのはざまで、小さいながらも心が揺れていたようでした。

月曜日は6年間通して、度々、よく休んでいました。^ ^

中学時代の頃のこと

中学1年の時です。12月まではなんとか登校していましたが、冬休み明けから、パッタリと行かなくなってしまいました。担任の先生が、自宅に顔を見に来てくれました。次男を車にのせて町内を一周しながら先生なりに一生懸命にコミュニケーションをとってくれていました。毎日でした。頭がさがりました。感謝でした。

2年になって、ほとんど学校には行きませんでした。行かなくなり始めた頃のことです。幼稚園時代にとてもお世話になった園長先生がいました。卒園しても、たまに顔を出すほど大変お世話になっていて、次男よりも母の私が園長先生とよく会話していました。

園長先生は、どんな人のどんな相談でもすべてを受け止めてくれる女の先生でした。実子の他に身寄りのない子も実子として育てていたり、夜になっても、子育てで悩むお母さん達からの電話が絶えないほど・・・親身になって聞いてくれる大きな慈愛の存在でした。その園長先生から、「学校にも色々あるんですよ」「知り合いのフリースクールがあるから、彼と一緒に行って聞いてみたらどう・・・?」

早速、次男とそのフリースクールへ見学に行ってみました。中学に行ける時は中学に、行けないときはいつでもおいでよ・・・という感じで、フリースクールの校長先生もとても優しい愛の雰囲気に満ちた男性でした。

不登校で学校に行きたくなかったワケは・・・

当時、母のわたしから見て、こんな風に感じていました。「体育のある日とか運動会の日は喜んで行くんだな・・・」「好きじゃない関心ないことをじっと座ってやるのが人一倍苦手なんだな・・・」「体験しながら学ぶ方が向いてるかも・・・」「やりたいこと、楽しいことは、一生懸命どんどんやるよね!!」「やるか、やらないか、ハッキリしてる」(笑)

なんで、行きたくなかったのか・・・次男に、実際にインタビューして聞いてみました。つい、先日のことです。社会人になった次男が、今、振り返ってみて感じていたことを話してくれました。

  • 座って勉強がイヤ
  • 興味のないことをじっと座ってやってもつまらない、楽しくない
  • 体育(体を動かすのは楽しい)、音楽(聞くだけでいい)、歴史(戦国時代のゲームに関係があった)、理科(実験があった)は楽しかった
  • 数学と国語は大嫌いだった

素直な心の声でした。自分の心を自分でしっかり感じとっていたようです。さらに、こんなことも言ってくれました。

  • 不登校はダメなこと
  • 「なんで行かんの?」「行けば?」と言われるたびに、「行かんなんけど、行きたくない」氣持ちが(心の中で)イタチごっこ
  • 勉強しようかな・・・と想ってるとき家族に「勉強しろ」「宿題しろ」って言われたらやる氣なくなって、結局せんだ(しなかった)

無理やり行かせてもダメだし・・・、行きたくないときなんて誰でもあるし・・・、学校に行ける子が良い子で、絶対に行かないと行けないワケでもない・・・、行けないから悪いワケでもない・・・、学び方にも色々ある・・・。恩師である園長先生ともたまに会話もしていたので、幸せなことに、学校に行きたくない次男のことで私が悩むことは殆どありませんでした。

そして、母の私だけは、どんな事があっても、まわりからどんな事を言われても、次男の味方でいよう!!と想っていました。たった一人でいいから、身近でも身近じゃなくてもいいから、自分のことを分かってくれる人がいるだけでどんなに心強いか・・・嬉しいか・・・なんとなく分かっていました。

「今、生まれて来る子供達は、すべての記憶を持って生まれて来ている」と言われています。バシャールの言葉です。バシャールについてはこちらをどうぞhttps://consultation.link/bashar/latest-message/

  • 大人のあなた達の常識を押し付けないで
  • 生まれた時からDNAレベルでちがう
  • 学び方も全員ちがう
  • その子ども達と同じ目線に立って、どんな風に生きたいのか・・・学びたいのか・・・感じ取って、邪魔しないであげてほしい

「学校にいきなさい」「勉強しなさい」この2つの言葉を、長男にも次男にも一度も言ったことがありません。言わなくてよかった!と、今も感じている事です。^ ^

不登校のお助け場所!フリースクールってどんな所?

学校にパッタリと行かなくなり、自宅で過ごすか、行ける時はフリースクールへ行くようになっていきました。

通っていたフリースクールの様子と、彼の今感じる一言です。

  • 10時はじまりで、ゆるく勉強
  • 週に数回、体育館でスポーツ
  • お昼は、自分たちでたこ焼きなど料理を作って食べる
  • 冬は、週ーで丸1日スキー
  • 美術の課外授業で数回美術館へ
  • 日本語ペラペラのネイティブ外国人の自宅で月2回ほど英会話
  • 宿題はなし
ゲームをしたくて休んだ時もあったけど、フリースクールは楽しかった!!

「こんな学校なら、誰でも行きたいかも!!」「楽しそう!面白いだろうな・・・」最初に、フリースクールの説明を聞いた時に私が感じたことです。唯一の難点は、学費が高かったこと。市立中学の3倍以上の学費でしたから。ですが、多少高くても、支払い大変でも、望めば行かせてあげたい学校でした。お恥ずかしい話ですが、次男の学費は分割にしてもらっていました。とても良心的な校長先生の配慮でした。

フリースクールは、日本にも色々たくさんあります。その中でも、「サドベリースクール」という、学校の常識を超える学校があります。〜世界一素敵な学校〜と言われる、授業もテストもクラスも宿題もない学校です。ちょうど、不登校になった時に知ったスクールで、こんな学校があるんだ!!!と驚きで衝撃を受けました。

詳しくはこちらをご参考にどうぞ。

高校は行かないかも・・・

次男の座学嫌いは十分に分かっていたので、高校には行かないかもしれないな・・・と、密かに感じていた中学3年生の後半の時期。まわりからの心配や「どうするの?」という言葉のプレッシャーもあったでしょう。同じように、当の本人もどうしようかと考えていた時期です。

最終的に自分の意思で選択したのは、定時制の高校でした。理由はただ一つ。高卒の資格が欲しかったこと。

「スタバでバイトをしてみたい!!」と言い出したことがあり、スタバに問い合わせると高卒以上という条件がありました・・・。スタバでバイトするにも、社会にでて仕事するにも、高校は卒業しておいた方がよさそうだと自分で納得し分かったことが決め手になったようでした。

定時制なので、自由服でした。他校の制服に憧れた・・・制服を着て高校生活を送ってみたかったと卒業してから感じたようです。

高校在学中、勉強嫌いの次男が、体調不良以外は1日も休まずに登校していたことには驚きました。個人懇談でも、どうしたの?っていうくらい成績優秀で品行方正だと・・・担任の先生から太鼓判の高校時代でした。勉強嫌いが大前提だったので、大学や専門学校への進学は本人も考えもしていなかったと想います。

卒業後の社会人への準備で、1、2年生からバイトもし始めました。昼間は学校へ行き、夕方から夜まではバイトへ行く生活。遊ぶ暇もなく、私の想像以上に忙しかったし大変だった・・・。制服を着て、友達と高校生活を楽しんでみたかったという氣持ちがよく分かりました。(涙)

進路、どうしようかな・・・

社会人になるのか・・・どの方向へ行ったらいいのか・・・誰でも多少は悩む時期ですが、高校3年のこの時期はとくに悩んでいたようです。

私は、高卒後は社会人になる予定でしたが、どうせイヤでも社会人になるんだからと、両親に短大を勧められました。じゃあ、と英語が一番好きだったので、推薦入学で運良く受かりあまり苦労もせず進学しました。

次男は、動物好き。へびもそんなに苦手ではないらしい・・・。で、動物の飼育関係の方向へ行こうかな・・・と考えていました。自分の人生は、自分が決めて進めばいい。どんな事でもやってみたい事があるならやってみればいい。どんな事もやってみないと分からない。やってみて、違ったら方向を変えればいい。これは私の想いでしたが、茶々を入れたのはまわりの家族。

  • 動物の飼育なんて、糞の始末とか汚い仕事もあるんだぞ!!
  • 綺麗な仕事だけじゃないんだぞ!!
  • 夜勤もあるだろうし大変だぞ!!
  • 本当にそれでいいのか・・・
  • もっと、よくよく考えてみなさい!

本人は、何を言われても至って平氣な態度でした。そんな時、ある専門学校の案内を見たそうです。こんなのもあるよと、パパが見つけて来てくれた専門学校だったようで、その案内が進路のキッカケになったことを初めて知って驚きました。(当時は別居していたので、この話は知らなかった)そんな事があったとは・・・パパに伝えてはいませんが、心で感謝しました。パパ、ありがとう。

人生の選択!トリマーへの道

学校見学や下見をし、次男が自分で選んだ進路は、トリマーの専門学校。体験しながら学ぶことが好きな彼にはピッタリの場所だったと想います。犬のカットやシャンプーの実習は、技術の習得は多かれ少なかれ多難ではあるけれども、やり甲斐もあり、忙しかった高校生活で経験出来なかった友達との学園生活も楽しんだようです。

あっという間の専門学校生活を経て、トリマー1年目の職場は広島県。現在、トリマー3年目になりますが、つい最近、関東へ転勤になりました。

現役3年目の次男の生の声がこちらです。

  • トリマー1年目で、辞めたいと想ったことがある
  • この仕事に向いてないんじゃないか・・・
  • 自分の納得のいくカットが出来なかったから・・・
  • 給料も少ない・・・
  • 広島でも今も、人間関係に恵まれてる
  • あの(しんどかった)高校時代のバイト経験があるから、1年目で辞めずに続けられてるかも・・・
  • あの時のバイトに比べたら、全然いい

と、言っておりました。^ ^ まだ、3年目!!これからもさらに、楽しいことも嫌なことも、まだまだ沢山あるでしょうね!

まとめ。不登校はじつは素適なプレゼント!経験からの氣づき・学んだこと

不登校時代を振り返り、いま感じること

「学校に行きたくない」この言葉の裏に隠れているものがさまざまに沢山あります。それぞれの学校やそれぞれの家庭環境での、勉強のこと、勉強以外のこと、先生や友達、クラスメイト、家族からのちょっとした一言や出来事だったり、態度だったり・・・、千差万別で色々です。

誰でもいいと想います。たった一人でいい、すべてを話せて受け止めてくれる人がたった一人いてくれるだけでも救われるかなと想います。ただ話を聞くだけかもしれません。なんの力にもなれないかも知れません。本当の心の声を聞いてくれて、ほんとだね・・・そうだよね・・・つらかったね・・・悲しかったね・・・と、心にただ寄り添ってくれる人。

私には、園長先生がいてくれました。園長先生は今年早々に宇宙の光に戻られました。とてもお忙しい身でしたが、幼稚園に顔を出せばいてくれて、話を聞いてくれたことにとても感謝しています。

普通なら(その人によって普通のレベルにも色々あるとは想うけど)、多分、大きな悩みになっていたハズの不登校だと想います。私の場合は、ほぼ悩まず、すぐ解決しようとも想わず、そっと見守ることができた経験が貴重な体験だったと感じています。

不登校は自分を大切にできるその子その個なりの表現方法

結局のところ、不登校であってもなくても、あまり関係ありませんでした。不登校だから(だったから、普通に学校に行けた子に比べて)ずっとダメな子のまま、社会に通用しない、おちこぼれる、生きていけない、大人になってから大変で苦労する・・・というような周りや世間の評価を氣にする必要が全くなかったということです。

むしろ、不登校は、自分を守り大切にできる表現方法かもしれません。なぜなら、誰にも分かってもらえない自分の心の悲鳴を我慢し過ぎず、まわりの顔色を氣にし過ぎずに出せる勇氣ある行動だと想うからです。

ムリして、ガマンして、顔では笑って心で泣いて、本音の叫びを無視して蓋をして、表面上だけのいい子で居続けたら、どうなるでしょうか・・・。大人でも「うつ」や「胃潰瘍」、ひいては「ガン」にもなるように、間違いなく健康をわずらい蝕んで心も体も病んでいくでしょう。

次男の代わりに私が中学へ行ってあげることはできないし、高校やバイトに行くこともできません。温かく応援してくれる人、非難する人、攻撃してくる人、まわりには色んな人がいるけれど、子も親も、誰も自分の代わりになり人生を生きてくれる人はいないのです。

私も、いまも、自分が体験して感じて氣づいて、その経験を活かして、選択して。時には起動修正もしながら、また、選択しなおして、一つ一つ自分の階段を楽しみながらクリアしている最中です。

ごく普通に楽しく小・中・高校に通い、社会人になり、好きな場所で好きな仕事をしている長男。不登校のおかげでフリースクールでより楽しく学んで、専門学校を経てトリマーへの道を進んでいる次男。彼らもそれぞれにそれぞれの感覚で人生を楽しんでいます。

同じするなら好きなこと、楽しめることしよう!次男と私のシンクロ・共通点

次男は小さい頃から、本当に分かりやすい性格でした。「楽しいことには全力投球!イヤなこと氣の向かないことにも全力「不」投球!!」そのままです。私にも、じつは共通点があります。私の学生時代は、「学校は行くもの」と決まっていたので休む事自体の発想がありませんでしたが、二十歳を過ぎてからは、じつに、好きな事、やりたい事しか仕事にしていません。楽しめないことは、やはり続けられなかった。自分に正直に生きてきたと想います。ノイローゼになるまで何も言わずに我慢して・・・はムリでした。

健康を害してまでのガマンは、する必要がない・・・これは私の価値観・考えです。健康あっての、学びであり、仕事であり、好きなことをするにも健康が第一条件です。学校に行きたくても、病氣で行けない子たちも沢山います。好きな仕事や趣味があっても、寝たきり・体調不良ではままならないですよね。

不登校・イヤなことを通して好きな心地良いことが分かる仕組みになっている

ここで、私が氣づいたことをお話ししてみますね。

私も次男も、これまでに氣の向かないイヤなこと・不登校、バイトなど・・・色々と体験し経験してきました。次男はまだ氣づいてないかもしれませんが、私は、ある時から氣づいたことがありました。

数年前のことになります。その当時、自分ではこれでいい!!今度こそうまく行くはず!!と想い、ダブルワークをしながら一生懸命に生きていた時期のことです。その一年半ほどの期間中に、毎月毎月、必ず、良くないことが次々と起こってきたことがありました。毎月毎月起こるので、まるでドラマや映画の中にいるようでした。

「なんで!?こんな事になるんだろう!!」というような日々です。余りにも次々と、しかも全然良くないことが起こり続けていたのに、おかしいとも想わず、氣づきもせずにいました。一年くらい経った頃でした。衝撃的な事実が発覚して、やっと氣づくことができたというストーリーになっていました。その氣づきから徐々に自分を取り戻して、3ヶ月後にはその世界からスパッと脱出することができました。

うまく行かないことが起こり続けるときは、一旦、たち止まって進路を見直すタイミングが来ています。

「方向が違うよ!!そっちじゃないんだよ!!」というメッセージを誰かが?ひたすら送り続けてくれていたような感覚です。送ってくれていたのは、宇宙、天使、神さま、ご先祖さまかもしれませんし、本当の自分からだった・・・かもしれません。

私は制限の多い家庭環境で生まれ育ちました。だから自由を体験したくて、この地球での人生を生きている、と氣づくことが出来ました。

『あなたが抱えてるコンプレックスや生きにくさこそ、人生のテーマになっている』ようです。すごくイヤなこと、大嫌いな心地悪い状態に置かれると、私たちは自然と自動的に、「こうだったらいいのに・・・、こうなったらとても楽しいのに・・・、こうしたい・・・、こんな事ならやってみたい・・・」と、自分の想いや好きな心地よい状態を想像してイメージしますよね。

この「生きにくさ」を嘆くことなく受け入れて、諦めないでそのテーマを追い求めていくと必ず「私のやりたいこと」や「原動力」に繋がっているようです。

何が起こっても、子供たちを、自分を「心配するより信頼する」こと。無理やり行かせようとしても、返って逆効果が多いような氣がします。子供にも自分にもまわりにも意固地になって、まわりの子と自分の子を、まわりの家庭と自分の家庭を比べてみたり、戦いを挑んでみたり、批判したりしていては、本当のテーマにたどりつくのにも時間がかかりそうですよね。

突然ですが、「北風と太陽」の短いストーリーを思い出したので、お時間ある方はどうぞ。https://www.youtube.com/watch?v=pxtCl5WLcao

また、ちょっと不思議な話になりますが、現代には、お母さんのお腹の中にいる時の記憶を持ち生まれてくる子供たちが沢山います。実際に、生まれる前の記憶を持ったまま地球での人生を生きている人もいます。こちらもご参考にどうぞ。

『魂は永遠だけれど肉体には限りがある。肉体のタイムリミット内に最短で使命を全うしていく』

さまざまな出来事は、あなたを苦しめたくて、修行させたくて起きてくるワケではないようです。肉体のタイムリミット(地球での寿命)内に最短で使命を全うしていけるように、日々の生きている間にさまざまなことを起こしてくれているような感じです。

わざとイヤな心地悪いことを通して、最短最速で、自分が決めてきた地球でのテーマ・目的に氣づけるようにと自分が設定している「仕掛け」かな・・・とも想えます。これは、あくまでも私の捉え方です。

一つ一つの出来事(点)は、無駄なことは何一つなくすべてが繋がっていて、近道したり遠回りしたり色んな道のり・プロセスを経て、人生(線)になっています。子供も大人も、どんな人もどんな辛い状況でも、どんなに大変でも、すべて、それでも順調に進んでいたと氣づける時が必ず来ると想います。私が、そうでした。

これからも、色々あると想います。「起こることすべてに意味があり」、点が線に繋がっていると分かっていれば、どんなことも、楽しんで受け入れて、どうなっていくのかな・・・と俯瞰さえ出来る氣がしてきます。

自分の本当の心の声(心の健康)を大切にしてみてください。分かってくれる人が必ずいます。まず、自分が自分の味方になってあげて抱きしめてあげてください。

そして、実は、自分のことを、家族以上に誰よりも200%分かってくれている人がとても身近に実在しています。近すぎて、氣づいていないのが実情ですが、いちばんの最強で最高で最幸の味方は、この地球に生まれた瞬間から1秒たりとも離れずにいちばん近くでずっと一緒にいてくれている、あなた自身(自分)なんですよね!^ ^

自分の心の声に耳を澄ませて、イヤな事から好きなことをどんどん見つけていって、氣になることから試しにやってみるのはどうでしょう・・・。やってみて、違ってもいいんです。また、氣になることが見つかったら、何度でも何度でも、何度でも、何度でも・・・チャレンジしてみて、あなたのコレだ!!を見つけて地球での人生を楽しんでいってみてください。

この記事があなたの何か氣づきやヒントになれば幸いです。最後までお読みいただきありがとうございます!

失礼します。^ ^

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